絵に描いたもちを食べる方法・外伝
−巻きますか、巻きませんか−
すっぽり抜けていたのですが、情報と物質という意味では非常に重要な
ファクターがもう一つ存在していまして。
それは、時間、である。
実のところ我々のような生物も時間をさまざまな方法で測定しており、
そのための遺伝子も多数明らかになってきている。
そしてその時間を測定する遺伝子がぶっ壊れるとメタボったりすることが
マウスの研究で明らかになっている。
さて、自然を再現する上で絵、という表現以外に立体で表現するものたちが
現れた後、彼らは何を思っただろうか?
「動かない像と、動く生物の違いは?」
「生物のように動く物体作れないか?」
動く…考えてみて欲しい。
内燃機関や電動モーターはもちろんのこと蒸気機関すらない時代に、
動く存在をどうやって造ろうと考えればいいのか?
そして生物のように動く機械に必要なものとは??
自然動力として使えるもの…まずは風や水、そして重力あたりか。
風は不安定すぎる。粉とか挽くのにはまだ便利だが…
水も風ほどではないが不安定である。
しかし、一定量を流すという手法で安定して流量を確保すれば…
重力…一定量ずつ流す…水が…時計に…?
…時計?そう、まさにまず必要だったのは時計である。
ガリレオによる振り子の周期性の発見とホイヘンスによる振り子時計の発明
ピーター・ヘンラインによるぜんまいの発明、フックによるぜんまいの周期性の
発見をもととして懐中時計の開発も行われた。
動力と周期性、これによってついに人類は一定時間ごとに動く機械を手に入れた
のである。
おりしも大航海時代、狂わない時計の存在は非常にありがたいものであった。
とにかく時計技術は生死にかかわるものである。
その後ジョン・ハリスンが開発した超正確な時計クロノメーターに
国王ジョージ三世が賞金を渡すためブチ切れたりしたのはまた別の話だが…
これも後に国王が発狂するストレスの一因だったのかもなぁ…
で。
時計の動力を元に今度はより細かな制御を行える自動楽器が誕生し、さまざまな
情報を記録、再生するという技法が出現し…誕生したのがオートマタ(自動人形)である。
ヴォーカンソンのアヒルのように生物を再現したものもあったが…
人間が人を模したもの作るのは神への反逆とかいう意見もあったりもしたのかなぁ。
多くのオートマタの行っていた自動楽器演奏はエジソンの蓄音機やらに取って代わられる。
エジソンの発明の中で最もオリジナリティがあるのは蓄音機だと思う。
そしてオートマタは歴史の闇に消えていった。
一方はるか東方に日本って言う島国があってね。
そこにも自動人形が伝わったのだが…昔からこの国の人間のマニア度は異常でな。
とりあえずオートマタを再現し、「からくり」をつくりそれらは異常な進化を遂げる。
さらにあちこち技巧を凝らしつづける。文明開化以後もそれは続く。
蒸気圧などを利用したロボットが出来たのは1928年1928年、東洋初の人間型ロボット
「學天則(がくてんそく)」…そして戦後には多様なフィクション、ノンフィクション問わず
大量のロボットを生産し、世界一のロボットヲタ大国として君臨することとなる。
ちなみに學天則を製作した西村真琴は実は生物学者だったというのもびっくりだな…。
神への反逆とか考えるどころか、ロボットとどうしたら仲良くやっていけるかみたいな
そんな国。ある意味万物に魂がこもっていると言う考えからなのかも。
そう考えればロボットにだって魂というか心があってもいいだろ?ってか。
下手すりゃ「生身なんざよりロボっ娘萌え」なんていう人もいるが…
なんだか知らんが、とにかく良し!(よくねぇよ)
そんなわけで日本はやっぱりヲタ大国かつロボット大国目指すべきだと思う。
だから巻きますよ。巻かないわけないじゃないですか。
某マンガヲタさんだって巻きたいでしょ。みんなで巻けば怖くない。
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